10年ぶりのジブリ作品
まず初めに言いたいのが、ポスターに堂々と載っているクールなアオサギ、こんな奴はいません。正体は肌荒れが目立つ禿げたむさいおっさんです。
思い返せば、宮崎駿監督作の転換点はハウルの動く城だったと思う。その片鱗は千と千尋の神隠しで現れ始めてて、作品の特性上、終始神同士のやり取りが続くという、ぶっ通しで神の視座に近い映像を垂れ流す作品に仕上がった。この映画の興収が300億を超えたことは人類誕生に次いでの不思議に登録されてもいいと思うわけですが、ジブリ特有のオーバーな演出と煌びやかなビジュアルが大衆を惹きつけたというのも納得できるわけで、押井守監督のイノセンスが観客導入数70万人を超えるという悲劇に比べれば、負ったのは傷だけでなく思い出もしっかりと刻まれているぶん、ちゃんと娯楽しているなぁと思うわけです。
イノセンス大好き。
千と千尋で神の世界観を表現したり、ハウルで魔法使いの世界観を表現したりと、おおよそ現代に生きる人間の視座で物語ることをやめてしまったわけで、もののけ姫でもその試みがされてるんだけど、人と自然の共存はどうあるべきかという最も人間らしい世界観で物語られてしまったという、ある意味の失敗がハウルでは成就したことになる。だからジブリ作品は千尋以降、非常に見辛い。
ちなみにこの場合における世界観とは世間一般的に認知されている世界設定の意味ではなく、世界をどう捉えているかという本来の意味であるためご承知を。
というわけで10年近く音沙汰が無かったジブリの新作です。広告をうたないこともエンタメになるんじゃね?という鈴木プロデューサーの発案から、試写会もCMもなく公開されました。それがエンタメかどうかはさておき、10年の空白があれど初週から興収21億到達したニュースを見るに、ジブリの名前の強さはバリバリの現役のようです。
動員数は多いもののメディアで見かけないからか、話題になっているのかなってないのかよく分からず、ネットに散らばる感想を観ても良いのか悪いのか要領を得ない。というのも、何が言いたいのかよく分からなかったという意見が散見される。
そうとなれば私が見ないわけにはいかないでしょうというわけで、ここ最近の多忙さと映画への熱が冷めていたこともあって一ヶ月ほど間を空けて見に行きました。
一般的に語られるよく分からないという原因も理解できます。まぁ説明が少ないというありきたりな理由ですが、どちらかというと世界設定が垣間見える台詞はわりと多いです。ただその台詞がとてもさり気なく、ぼんやりと見ていたら聞き逃してしまうのも仕方がない。しかしこれは演出としては非常に適切で、なのにどこか徹しきれてないと感じるのは、台詞から見える世界設定の説明口調が原因なのかもしれません。
観るべき映画ではありますが、良い作品かと問われるとうーん・・・て感じ。
今作の世界設定
時代は観て分かる通り第二次世界大戦。姿を消したナツコを探して主人公の眞人とアオサギは地中へと引き摺り込まれていく。これってつまり地獄、冥界という描写ですよね。地獄のあちこちにはお墓があって、黄泉へと渡る船に乗る人たちもいる。キリコは墓守というか番人。ワラワラは人の魂で、現世に人が増えすぎないようにペリカンがワラワラを食べる。そのワラワラを守るためにヒミがいて・・・
でもペリカンたちはワラワラが食べたいわけではなく、それしか食べられるものがないから仕方なく喰らっているような状態で、反して何でも食べるインコたちは王国を築いて天敵もいない。
なんというか不自然な形で食物連鎖が敷かれており、その流れはいかにも作為的。それもそのはず、その地獄はとある超常的な力を持った一人の人間によって仕組まれたものだったというのが今作の世界です。
物語は淡々としており、喰らうこと、死ぬこと、探し求めること、生きること、それらをリズムやテンポといった躍動感もなくただひたすらに映し続ける。
ただそれだけを見つめたような映画。
結局はどういう映画だったのか
これは決意表明です。宮崎駿監督による我々に対するアンサーです。
正直に言うとこの映画は歪です。何故そうである必要があるのかという部分において全く理由がない。例えば時代は第二次世界大戦だけど、その時代設定にする必要が全くない。戦争が彼らの人生に大きく絡んでくるなんてことはないし、舞台は冥界へと移るのでこの時代からは早々に退場する。彼らが戦争の時代を経験していたことが必要だったのかといえばそういうわけでもなく、眞人は年齢以上には大人びているが、年相応の未熟さもあり、ならば戦争という時間が眞人のこうした人格を形成したのかというとそういうわけでもない。
映画の観づらさに反して、俳優を起用したキャスティングは非常にキャッチーで、ここからも宣伝効果以上の意味はなく、この映画のキャラクターがなぜこの声でなければいけなかったかという理由はほとんど無い。柴咲コウと菅田将暉はいい仕事してた。
要するに作り手は作り手で、広告は広告で好き放題やりたい放題してできた映画がこの「君たちはどう生きるか」という作品だと感じる。
宮崎駿監督は細かいことはもうどうでもよくなってしまったんだなぁ。お客目線の商売は捨て、やりたいことをとことんやる。プロデューサーは何とか利益になるように思いついたことをとことんやる。
世間的にジブリは子供でも楽しめる親子連れにおすすめな作品を世に出すイメージがありますが、今後はそれも無くなると思う。今後はついて来れる人だけ来たらいい。途中で降りたいならどうぞご自由に。私も自由にやらせてもらう。映像にはそんな決意がある。
映画のタイトルから視聴者は生き方を問われる映画を想像しただろう。私もそうだと考えた。
けど、それは全くもって浅はかだったという他ない。この映画の登場人物で、自身の生き方を見つめる者はいない。
私はこう生きることにした。そしてその後にタイトルである「君たちはどう生きるか」が来るのが正しい。この作品は宮崎駿監督の決意である。前後関係や理由を無視して、己のやりたいことを突き詰めた結果を映像として映しだし、その果てでようやく我々は問われるのだ。故に観た者の意見なんてきっとこの映画は求めていない。
ちなみに壮大なタイトルとは裏腹に、映画の内容は冒険活劇です。
ノリで言うと不思議の国のアリス風味。
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