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言いいたいことは分かります。私だってそうです。
この映画をおすすめする人間をはたして信用してもいいのかと。
私も恐怖!キノコ男をオススメするやつの助言を聞くなと教わったし。ちなみにキノコ男は一見の価値あり。
私にとってカン・フューリーは端的に好きな映画なんです。
30分くらいのショートムービーなんだけど、30分とは思えないくらい色々と詰め込まれた映画で、その色々がグサグサと私に刺さりました。
80’Sカルチャーが好きな人はまぁまずは観てやってください。たった30分なんですから!
あらすじ
いつかの時代のアメリカ。法は既に役割を終え、無法が街を覆う。暴れ回るゲーム機に一般の警官が手に負えるわけもなく、とある男に出動依頼の電話が鳴った。彼はカン・フューリー。カンフーを使いこなす上等な警官だ。
罪を犯したカンフーマスターを追いかけている途中で雷に打たれてしまい、同時にコブラに噛まれ、その瞬間にカンフーの力に目覚めた選ばれし者だ。
カン・フューリーはビルの頂上から飛び降りて、ハンドガンでカウンタックのドアを開いて乗り込んだ。凄技を繰り出すカン・フューリーの前になす術もなく、ゲーム機はあっという間に制圧されてしまう。
カン・フューリーのお陰で、街はまたほんの少し法を取り戻せた。だが、混迷するこの街の水面下では、更なる巨悪が陰謀を企てていたのだった…
80’Sカルチャーをリスペクトした怪作
基本的にギャグ映画なので、そんなアホなが連続します。しかも30分しかないからその頻度が高い。なのでテンポが良く、何度も観たくなる妙な中毒性があります。
ギャグなのになんだかカッコいいのは80’Sカルチャーをリスペクトした内容だからでしょう。
80年代とはつまり、先へと歩み出そうとしていた時代であり、これから訪れるであろう未来をみていました。
それは当時の映画を観てもよく現れていて、バック・トゥ・ザ・フューチャーは時間を操ることで起きる可能性とトラブルを、ターミネーターは未来永劫、人類は自身が生み出した科学技術に振り回され続けることを描いています。
8街は宇宙空間のように肥大し続けるメトロポリスとなり、やがて国家は個人を管理しきれなくなって無法地帯が増加する…と想像していたのです。
今の私たちは80年代を生きた彼らが想像したかつての未来であり、そんな私たちは思ったほど無法化はせず、管理はより権力を増しているし、時間を操作することは今でもかなり難しい問題のままだけど、こうしてかつての未来を今観るというのは、あったかもしれない世界の可能性の一つを覗いているかのようでとても面白い。
出てくる車の形、映像、街並み、アジア圏の文化が欧州へと流れ込む様相。どれを見ても受ける印象は”未来”の2文字です。
かつての未来を現代で観るというのは、何とも時代劇かの如く昔々に思いを馳せるのに似ています。
なのでカン・フューリーという映画は未来を描いていながら、観る人の中のノスタルジーを呼び起こす何とも奇妙な映画です。
80年代は建築物、物語、文化のどれを観ても退廃的でしたが、同時に前衛的でありました。それは、これまでの常識が打ち破られ、新しい何かが生まれることの予感でした。
ちなみに現代の映画は全体的に暗く、個人や家庭が抱える何かしらにフォーカスがされていることが多いです。
それは、現代においては個人がより社会にとって大きなウェイトを占めるようになったからであり、そこから生じる摩擦が顕著化したからに他なりません。
かつての未来を今描くこととは何なのでしょう。ノスタルジーを感じているのは、昔は良かったという気持ちの現れです。
“かつて”にあって”いま”に足りないものとは何なのか。それは多分、増えすぎてしまった”規制”たち。
全てが真っ平に整備されたこの平面の世界において、私たちが生み出すものの多くは同じようなものばかりになってしまいました。
カン・フューリーは、法がまだまど不完全で、そんな法の合間をくぐり抜けて登場した数々の何かが、また現れて欲しいという願いに満ちています。
数々の制限を振り切り、心惹かれる何かへの渇望。この映画は、そんな誰もが抱く未来へのノスタルジーに思いを馳せた、素敵な映画なのです。
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