【名作を振り返る】バニシング・ポイントの感想

映画のレビュー

三月上旬に期間限定公開

3月上旬に今作の4K版が上映されたということで、バニシング・ポイントについて振り返ってみようと思う。私は幼少期からカッコいい車が出る映画が大好きでよく食い入るように観ていた。

タイムマシンのデロリアンとかインターセプターなんて今でも憧れだし、黒のターボとかチャージャー70のデザインに今も痺れる。チャージャー70は有名だけど、黒のターボなんて分かる人いるのか?知らない人は”処刑ライダー”を観るべし。

チャーリー・シーン節が好きならおすすめ。配給会社は早く”ザ・チェイス”を円盤で売ってくれないかなぁ。もちろん日本語吹き替え版を収録で。

緒方さんがほんと良い演技してくれてるんですよ。気になる人はググってみてください。

さて、黒のターボや赤のドイツ車が出そろったところで、バニシング・ポイントはどんな車が暴れるのかというと、ダッジのチャレンジャーです。

ちなみにワイスピのドムが乗る黒いマッスルカーはダッジのチャージャー。名前こそ似てますが違う車なんですね。私はチャージャーの方が好き。

正面の空気抵抗なんて知らねぇ、全てパワーで解決よと言わんばかりに四角いフォルムが素敵。車のデザインってお国柄が色濃く出るんですが、私はアメ車のデザインが大好きなんです。

なんてったってデザインのメカメカしさがたまらない。アメ社がマシンなら、日本車は動物。イタ車は建築物って感じ。

日本車って正面から見ると、どの車にも顔っぽさがあって、車とはマシンであるべきと考えている私はいまいち好きになれないんです。

イタリア車はまだ好きな部類。まあこれはデザインの話なので、性能面だと圧倒的に日本車なんですけどね。

今作はマシン感溢れるチャレンジャーが終始暴れまわっているので、マシン好きの私は大好物な映画なのですが、当然ながらデートで観に行くような映画じゃないのでお気をつけください。

車好きには良い映画ですよ。内容はマッスルカー特有の大排気量から鳴るバブルノイズが猛然と砂漠に響き渡りまくり埃立てまくりムービー。

小手先のテクニックで魅せるのではなく、圧倒的パワーで直線を駆け抜けるだけ。映像にDJスーパーソウルのラジオの軽快なテンポが心地よく、チキチキマシンみたいな雰囲気になったり、かと思えばソウルフルになったりと全く退屈しない。

荒野とマシン

だだっ広い荒野。乾いた砂と風、枯れた草木。相棒は錆びた金属の四輪マシン。ええ、男なら誰しも通過する道でしょう。マッドマックスも荒野とマシンの退廃的な空間が最高だったでしょ?

だから”処刑ライダー”も最高。

何度でも言いますよ。処刑ライダーも荒野とマシンの映画だし。マッドマックスの退廃的な未来とは違って、バニシング・ポイントはカントリーチックなのどかさがある。

これは、当時起こっていたヒッピー文化が背景にあって、彼らは自己の解放と調和を目指していたらしいんだけど、これは当時の権威主義的だったアメリカの政治に反発してのことだったそうな。

彼らは争うのではなく、国家と距離を置いて荒野で暮らした。カトリック的思想から離れ、仏教や儒教から学んだ彼らの姿は映画でもよく表れていて、民衆から逃れつつ主人公のコワルスキーに分け隔てなく助けの手を差し伸べる。

反対に、利己的な主張を押し通そうとした男性2人組のカップルがコワルスキーを恐喝した様や、余所者に排他的な信者のカットは何とも対照的で印象深い。

まさに調和と抗争の対比である。いつかどこかの話ではなく、かつてあった時代の映画であるバニシング・ポイントは、故に退廃的ではなくカントリーだと言える。

だからこの映画の荒野にはマッドマックス的な絶望感が全くない。コワルスキーの向こう見ずな振る舞いもあって、どうにかなるだろうのメンタリティーを常に感じられる。

コワルスキーという男

コワルスキーのセリフは驚くほど少ない。怒りのデスロードのマックス並みだ。おかげでマックスの吹き替え版はEXILEだったのは記憶に新しい。絶望的に下手とは思わなかったけど、映画好きには大不評だったなぁ。

コワルスキーはほぼ何も語らず、黙々と目的地を目指してフルスピードで突っ走る。ヤクでハイになりながらフルスピードが走ることが彼の至高だからだ。

当然警察はそれを良しとするわけもいかず、しつこく追いかけまわすわけだけど、コワルスキーは逮捕に臆することもなく数多の警官を振り切っていく。

しかし道中で困っている人がいれば手助けをし、追いかける警官がクラッシュしたら無事かどうかを確認してから走り去る。彼は悪人でもなければ冷徹漢でもなかった。しかし抑圧を強く嫌った。ただ愛するスピードと共に生きたかっただけだったのだ。

やがて彼のそんな生き方に人々が共鳴し出す。スーパーソウルがラジオ放送を通して彼の活躍を称えるが、コワルスキーにとって名声など何の価値もなかった。なにものにも囚われないコワルスキーはやがて誰も到達できないところへと駆け上る。

我々の”消失点”とはどこにあるのか?

さて、この映画を観てコワルスキーの消失を、自由の敗北と感じてしまった人は少し待ってほしい。この映画はどう観ても我々の誰もが抱く自由への意志の勝利を描いている。最終的にコワルスキーはブルドーザに突っ込んで消えてしまったのは確かだ。

しかし、彼は恐怖もなくアクセル全開で突っ走った。それはコワルスキーにとってスピードの中で生きることが何よりも至高だからだ。だからこの映画が語るのは、何人たりとも個人の自由を縛ることなどできないという証明だと言える。

この映画において敗北者とは、ブルドーザに突っ込むコワルスキーを観て落胆していた警官や周囲の野次馬なのである。彼らは炎上するチャレンジャーを観て「やっぱりな」だとか「だから碌なことになんてなりゃしない」といった表情で立ち去っていく。

そりゃそうだ。自分自身を真剣に見つめたことのない人間に、コワルスキーの幸福なんて決して理解できるはずがない。野次馬や警官らに自己などなく、それは既に世界に存在していないことと同義である。

だからこの映画において消失しているのはコワルスキーではなく、野次馬や警官らなのである。

コワルスキーは最期まで権威に屈せず、スピードを求めるあるがままの自分自身を受け容れていた。それは他者からしたら到底褒められるようなものではなかったかもしれない。

だがそんな彼をかつて愛した女性がいた。そんなあなただから愛していると綴った。そして私もまた、どうしてもコワルスキーに惹かれてしまう。

ありのままの自分を受け容れるというのは簡単なことではない。それは同時に苦難を伴う。周囲と合わずに摩擦が生まれる。だからどこかで調和が必要だ。

コワルスキーにとってそれは仕事にしていた車の陸送だった。仕事を通して社会と調和しながら、輸送中のスピードを楽しんだ。コワルスキーはそれを言葉巧みに語るわけでもなく、ただハンドルを握る姿で語る。

どうしようもなく不器用で、どうしようもなく惹かれてしまう。

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