【ネオン・デーモン】レフン監督が描く人間が孕む根源的な恐怖を解説

映画のレビュー

最近どういうわけかジョン・ウィック:コンセクエンスの記事にアクセスが集中している。
けど、どう考えても解説が必要なほど、難解な映画じゃないんだよなぁ。

やっぱりみんな防弾スーツの演出に不満があるんかね。どう見ても変な演出だし。
プライムビデオで配信されたから、ジョン・ウィック:コンセクエンスをまだ見ていない人はこの機会に見てね。
ツッコミどころもあるけど見どころもあるよ!

さて、今回紹介するのはニコラス・ウィンディング・レフン監督ネオン・デーモン

ジャンルにするとホラーなんだけど、幽霊や化け物といった類のものは出てこない。
いわゆる、結局怖いのは人間だよねっていう映画なんだけど、いやマジで怖い。

幽霊や怪物じゃなくて、人間を恐ろしい存在として描いた映画でこれほどの映画は他に見たことがない(たぶん知らないだけ他にもある)

ここ最近だとアリスター監督のミッドサマーが頭一つ飛び抜けてよかったけど、アリスター監督は悪趣味というか、嫌悪感や受け入れ難いものを描いていて、怖いよりも胸糞悪い作風をしている。

けどこのネオン・デーモンは非常に怖い。

もちろん悪趣味なキャラもいるんだけどそのさきにちゃんと恐怖がある。
気持ち悪く、そして恐ろしい。

今回はそんなネオン・デーモンの恐怖の正体を探っていく。

あらすじ

紫色のソファーに気だるげな少女が横たわる。極彩色の衣装の下、鮮血を模した赤い液体が膚の上に流れている。次の瞬間にはフラッシュが瞬き、正面から、斜めから、シャッターが切られる。
少女はジェシー。ファッションモデルを夢見て片田舎からロサンゼルスへと引っ越してきたばかりだった。
出版社へ売り込むための撮影だったが、空間にはすでにアマチュアの域を超えた情熱があった
彼女にシャッターをきる青年ディーンもまたプロのカメラマンを目指しているからだろう。
彼はこの時、彼女がトップモデルへと上り詰めることをすでに感じていた。

ディーンの直感通り、ジェシーは他のモデルを押しのけてとんとん拍子にモデル界のトップへと駆け上がっていく。
成功と同時に様々な悪意がジェシーへと降り注ぐとも知らずに…

嫉妬、色欲、富、名声。

それら毒は、やがてジェシーの倫理観を腐敗させていく。

人間を恐ろしく描いた映画

冒頭の通り幽霊や怪物の類のものは出てこない。

この映画で恐ろしいのは人間であり、人間が内に秘めているものなのである。

ジェシーは才能ゆえに多くの人間からの嫉妬に晒されることになる。
また、ジェシーはその美しさゆえに多くの人間から下心を向けられる。


その美しさゆえに金儲けの歯車として、ときには生きた芸術作品のように例えられ、持ち上げられたジェシーもやがてその甘美な賞賛に酔いしれていく。

だが田舎育ちのジェシーに都会のネオンは到底制御できるものではなく、やがてバランスを崩した独楽の軌道のように日常は混沌と化していく。

だが都会に知り合いのいないジェシーに助けを求めることのできる知り合いは少なく、かつて共に撮影をした頼り甲斐のある友人ディーンは自身の驕りのせいで距離を置いてしまった。

人間とは弱った時に最もつけ入る隙ができる。
その時に手を差し伸べてくれる人間が善人である保証なんてどこにもない。
なぜなら、人間とは誰しも後ろ暗いものを持っているからだ。

唯一信頼できたはずのディーンがどれだけ貴重な友人だったのか、田舎育ちで都会のネオンに目を潰されたジェシーに理解できるはずもなかった。彼女はまだ幼かった。

この映画は、誰もが隠し持っている人間の後ろ暗さが何かをきっかけに表層へと吹き出し、悪意となって襲いかかることの恐怖を描いている。

レフン監督は人間誰もが良いところがあるのと同じレベルで、人間は誰もが悪意を抱えていることを抉り出した。

これはとんでもない恐怖だ。

普段何気ない顔で学校に通うあの子も、さわやかなスーツを着たサラリーマンも、決して褒められやしない欲望や願望を抱き、制服で、或いはスーツで覆い隠してしまっているという事実。

なんて恐ろしい世界なんだろう。

数多の悪意が、人間が交差する街が途端に恐ろしく、絶望的に思えてしまう。

ディーンがどれだけ優しい青年だったかを後々思い知ることになるのだが、それに気がついた視聴者は、彼がもうこの映画に出てこないことに絶望するだろう。

無償で手を差し伸べてくれた彼から距離を置いたのはジェシーであり、そんな自身の悪意に彼女は追い詰められることになるのだ。

四方八方から襲いかかる欲望や羨望はやがて殺意となって彼女のトップモデルとしての未来を閉ざそうとする。

そして、この映画はそれだけなのだ。
誰かが救われるだとか、そんなことは起きやしない。

なぜならこの映画に幽霊や怪物なんていない。誰かが何かから救われることなんてない。

根源的な恐怖

誰が信頼できるのかわからない世界。ネオン・デーモンはそんな根源的な恐怖がある。

人は社会を形成し、あるときは貨幣で、あるときは地位で信頼という概念を形成した。

人は信頼があるから他者を許容することができる。
だがネオン・デーモンは欲望によってそれを取り払ってしまった。

欲望のない人間なんていないし、誰もが後ろ暗い何かを抱えて生きている。

ただ世界とはそういうものであり、どういうわけか私たちはそんな単純な真実を忘れてしまっていただけなのだ。

この映画を観た人は思い知ることになるだろう。

人は皆何かドロドロとした欲望を抱えているという事実を。

そしてそれは何かをきっかけに溢れ出し、決して容赦のないことを。

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