【ザ・バットマン】英雄もまた街のディティールであるということ

映画のレビュー

安心して観れないヒーロー映画

まず初めに、この映画を安心して観れる定番のヒーロー映画と捉え、恋人と一緒に観ようと考えているのならおすすめはできない。なぜならまず3時間もある。3時間かけてでも座り続けることができるのは映画好きに限られる。なのでこの映画を休日に彩りを添えるために消費することは難しい。次に非常に地味だ。物語に大きな起伏はなく、肉弾戦にも派手さはない。バットモービルは普通の車だし、スマートさと勧善懲悪の鮮やかさもない。夜のシーンが多くスクリーンは常に暗い。総じて観るにはそれなりに腰を据えなければいけない映画となっている。だが、どいうわけか目が離せない。今回はそんな少し困った映画”ザ・バットマン”の魅力に迫っていく。

カッコ悪いというカッコ良さ

非常に評価に困った映画です。というのも矢鱈と描写に甘いシーンが多いのに、目を惹くカットが多くて観るのをやめられないんですよ。あまりに唐突なキスシーンでなんじゃこりゃと思いつつ、バックにあるゴッサムシティの退廃的なネオンが美しくてついつい見てしまう。同じカットになんじゃこりゃいいねが共存しているという、なんというかジャージのポケットからハイブランドの財布がはみ出しているような感じの残念さは否めません。

じゃあ見どころはどこなんよというと、これがけっこう多いんですよ。なんとバットモービルはエンジン剥き出しのマッスルカー。一言で例えるなら最高。大排気量の70sアメリカンマッスル万歳な私にはクリティカルヒットです。バットモービルといえばバットマンを象徴するガジェットの一つ。ティム・バートン版はどんな危機的状況でも打開できる多機能を備えた流線型のスーパーカーで、ノーラン版はバットマンの無茶な要望にも応えられる戦車だったわけだけど、今作のバットモービルは大排気量の早くて丈夫な車。特別な機能なんかなくて、ただ頑丈で速いだけ。それが凄くかっこいい。

バットマンの纏うマントも、コウモリのように羽ばたくシルエットだったこれまでのシリーズとはうって変わって、ムササビみたいに滑空するスタイル。凄くカッコ悪い。

滑稽。しかも着陸前に減速用のパラシュートを開くんだけど、高架に引っかかって不時着するという情けなさ。でもね〜、それがカッコ悪いと言えばその通りなんだけど、これってこの映画におけるバットマンの限界が分かる重要なシーンなんですよね。

つまるところ、バットマンもといブルース・ウェインは巨額の財産のおかげでバットマンたりえてるわけなのですが、そもそもバットマンの活動でブルースに何か利益があるのかと言えば何も無いわけで、せいぜい満たせるものといえば自尊心くらいなわけです。

なぜブルースがバットマンでいられるのかというと、特殊なガジェットのおかげなんかじゃなくて、何よりブルース自身がバットマンとして存在しようとする意志そのもののおかげなんですよね。

だからたとえバットモービルが頑丈で速いだけでも、ムササビスタイルで滑空することしかできなかったとしても、自身の要望にテクノロジーが追いついていなかろうがバットマンとして存在することに価値があると考える、そんなブルースを描いた映画なのです。

だから映画の展開はドキュメンタリー形式に近い。松本人志の大日本人みたいな感覚。もちろんそこまで極端にドキュメンタリー風に寄せてるわけではないですよ。

ただ展開の話をするとそれに近いものがあるというだけで。ヒーローの数日間を間近で追い続けたら、こんな感じになるんだろうなぁ。

美しいゴッサムシティ

いいですね〜。夜と街と雨と街灯の美しさったらない。夜景ファンには突き刺さるカットが盛りだくさんですよ。雨と街灯の裏にビルやら高架が巡りに巡る。

ゴッサムシティってそうやろがい!と言われればそうなんですが、今作は街中のシーンでぼんやりとした加工が施されていて、ノーラン版のくっきりとした街やバートン版のゴシックなイメージとも違う。

バートン版のイメージを持ちつつ、ブレランのような退廃感があって素敵。退廃街マニアには突き刺さる一品。

汚職と犯罪が蔓延り、2度と洗い流すことなどできない巨悪が灯すゴッサムシティの街灯は、その裏事情などどうでもよくなってしまうほどの幻想で、そんな街の中でブルース・ウェインもまた、違う夢を観る1人の人間…そう1人の人間なのです。

ヒーローもまた街の一部であるということ

この映画が徹底して描いていることは、バットマンもまたこの世界の一部だということです。映画の主人公といえば、世界を動かすほどのパワーを持つが故に主人公たるわけですが、この映画はそうしない。

バットマンがどれだけ尽力しようと犯罪は減らないし、警官には頭のいかれた変人と思われている。でもそんな人って意外と珍しく無い。

日本にも少し前に千葉ットマンていましたよね。知らない人は検索してみてください。ちなみに私は好きですよ。

周りには変な人と思われているけど、本人は至って善意で動いているってパターンはそう珍しいものではなくて、そんな他の人とは違う方法で公共にアプローチした人ってのが今作のブルース・ウェインなのです。だからブルースはそんなにカッコよくない。

あくまで一般人に手が届くテクノロジーで、でも絶対に真似できないようなことをしている。

そしてそんな真似できない点がバットマンがヒーローである理由なんですが、そのヒーローであることと一般人だから決してカッコよくないってところの塩梅がかなり絶妙なんですよ。

物語終盤で、バットマンが警告灯を発火して人々を導くシーンがあるのですが、これって絶対バットマンがしてはいけない方法なんですよね。

バットマンにとって光は自身の正体を暴くものだし、闇を味方につけて戦っているのに、自ら光を取り出すなんてもってのほか。でもバットマンは躊躇いなく光を灯した。

それは他の誰でも無い、ゴッサムシティに住む人々を安全なところに導くため。シンボルとしてのヒーローではなく、人々を助ける変な人であるが故。

ブルース・ウェインは本来の目的を見誤らない。闇の中で人知れず戦うヒーローではない。だから彼はダークナイトではなく、バットマンなのである。


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