※ネタバレ注意
劇場でCMをうたれていたときから気になっていたので観に行きました。
戦後の日本を舞台に、果たしてどのようにゴジラを成立させるのか。当時の時代の兵器をどのように表現するのか。
現代人がかつて混沌の最中だった半世紀前をどのように描くのか。
結論としては、想像とは違ったけどなるほどなと思う作品でした。
気になったなら観るべし。
プロット
日本は敗戦した。
ロシアを退け、アジアの多くの植民地を開放し、アジアで最も強国だった日本でも連合国を前に栄華はそう長く続かなかった。
大衆も軍人も、全てが疲弊していた。
だがそんな日本も次第に復興の兆しを見せ始める。その根源には、日本人の誰もが内包する雑草魂の如き強かさがあった。
だがそんな日本を再度、どん底に叩き落とすような事態が起きる。
巨大生命体ゴジラの襲来。
吐き出される熱線に、復興の兆しにあった銀座は再度、無数の瓦礫へと崩れ去る。
特攻隊を生き残った敷島はにとって、ゴジラは悪夢の再来だった。だが、戦場で惨めな思いをした敷島は決意を新たにする。
愛した者の仇を討ち、自分自身の戦争を終わらせるために。
たとえ差し違えたとしても…
感想
思ってたのと違う・・・けど
別に戦後日本じゃなくても良くね?
まあ別に平成でも令和でなくてもいいか。
正直思っていた映画とは違ったんだよなぁ。
私は戦後、当時の兵器でいかにゴジラ倒すのかが描かれるものだと思っていたんだけど、そんなものはほぼ出てこない。
でも重巡高雄が出てきたのは痺れたわ。
船にはあまり興味が無いけど高雄のカットは良き。
だが映し出されるのは戦場ではなく昭和の街並みが多く、山崎監督はAlways三丁目の夕日みたくゴジラマネーで昭和を再現したいだけなのかと思っていた。
だけど見続けていたら徐々に映画の根幹にあるものが見えてくる。
ゴジラといえば国家が保有する軍事力を用いていかに倒すかが鉄板だったんだけど、今作では戦後で国力が低下していることを建前に、国家はゴジラに対してほぼ関与しない。せいぜい報道規制を敷くくらいだ。
だから今作では対ゴジラを民間からかき集めることになる。元兵士はもちろん、技術屋や学者など職業は様々だ。
この民間でいかに脅威に立ち向かうのかという描写が面白い。
国家力が使えない以上、大口径砲や爆薬なんて用意できないため、限りある資材で知恵を絞り、真っ向から立ち向かうのではなくいかに脅威を受け流すのかが問われることになる。
役割を終えた船や本来の使用目的から大きく逸れた道具を使って、科学的根拠でどう戦うのか、知恵を絞るカットはワクワクした。
特に、終盤の海で作戦行動を開始したと同時にゴジラのメインテーマが流れた時は、非常に不利で決死の作戦というのもあり、緊張感からか思わず鳥肌が立った。
戦争が心に負わせる傷痕
正直なところ人間ドラマの部分はしつこい。セリフ回しと演技も臭いところが多い。
ただ、敷島役の神木隆之介の演技は、戦争でトラウマを負った人間らしい発狂っぷりを演じていて舌を巻いた。
人が簡単に死ぬ世界が当たり前になったとしても、人間はそう簡単にその変化に適応することはできない。
ましてや戦争のトラウマを克服することは、非常に多くの時間を必要とする。
ランボーは一般の生活に戻ることができず、いつまでも戦場を求めて傭兵紛いな仕事を続けた。
ちなみに戦争における心の反応を研究した戦争の心理学という書籍は面白いので一読の価値あり。
とにかく、戦場でのトラウマに悩まされ続けた敷島は不眠を患い、大声を出し、ふとした瞬間に不安定な一面を露わにする。
国家が敗戦したとしても、個人の戦争は終わらない。
死者はたとえ語る術を失ったとしても、その表情や声を生者の記憶へと焼きつけ、記憶の中で叫び続けるのだ。
アメリカン・スナイパーのクリス・カイルは平和なはずのアメリカの街中で手榴弾の幻聴を聞き、家に訪れていた友人を取り押さえていた。
記憶が鮮明である限り、戦争の景色はいつまでも脳内焼きつく。
神木隆之介はこの役にどう入り込めば良いのか悩み続けながら演じ、何かに追われる悪夢を何度も観たとインタビューで語っている。
心に傷を負う者を演じるということは、自身もまた、傷を負うことを意味するのかもしれない。
日本のVFXもかなり進化している
正直、日本映画もここまででできるようになったんだぁという感嘆の思いでいっぱいです。
10年前の日本では映画よりゲームの方がCGが優れていたし。
でも今作のVFX はとてもよくできているし、劇中のセットを補うようにしっかりと作り込まれている。
まぁゴジラは個人的に特別好きなわけでは無いけど、初代ハリウッド版ゴジラが駄作なのはゴジラファンでなくてもわかります。
それはさておきVFXやCGは、実写では表現しにくいものの再現を可能にする技術なのはご存知の通り、この映画はそれら技術を用いて最高の演出をしてくれます。
VFXの魔法
何と言っても崩れゆく戦後の街並みと、戦闘機”震電”が飛ぶカットはミリタリー好きにはブッ刺さるのでは。
私はあまり兵器には興味無いのだけど、震電の絶対飛ばんやろと思うデザインは印象に残った。
そしてそれがゴジラという巨大生物と戦うわけだから、その間は異次元の空間が広がる。
この瞬間は映画の魔法にかかったような気持ち。
映画特有のこの時間は唯一だと思う。
VFXの正しい使い方だし、動くことが無いものが現代の技術で再現されるって結構感動的。
ツッコミどころもある
まあ良いところもあるんだけど、戦後日本を舞台にゴジラする意味というか、なぜこの時代だったのかという描写が無いため、素材と背景が噛み合っていない。
そもそもゴジラは反核を題材にした作品で、放射線で変異した怪獣なので、人間ドラマ削ってその辺をストーリーにもっと組み込んでも良かったんじゃないかなぁ。
なんで僻地の孤島で語り継がれる妖怪みたいな設定にしたんや。
とまぁツッコミどころが無いことも無いんですが、それを置いておけば家族や恋人と見に行ってもちゃんと楽しませてくれる。
と言うのも敷島が戦争で背負ったPTSDを、家族を作って乗り越えるのに割と説得力がある。
ランボーが社会と自身を結びつけることができなかったのは、仕事や家族を通じてコミュニティに所属しなかったからだし。
正直、山崎監督がPTSDにより社会と乖離する兵士の実情を知っていたのかはわからないけど、乖離による孤独は社会性を帯びることで癒すことができると言うのはあながち間違っていない気がする。
結局、個人が完全な孤独を維持することなんて、ネット社会においてほぼ不可能だし、誰かの叫びをネットから聞き、そして叫び返している。
知人だろうが知らない人だろうが、そんな相手が手のひらのスマホの先にいるというのは、現代が到達した社会の形だと思う。
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