【おすすめ戦争映画】激烈な戦争を描いた傑作5本を紹介

映画のレビュー

戦争という現象とは一体何なのだろう。数億の弾丸が飛び交い、炸薬の轟音、死、破壊、飢餓。多くの悲しみを生むことは間違いない。

戦争映画を観ていると、戦争に引き裂かれた家族や名誉の死を求める将校の姿が度々描かれている。感傷的なドラマとして題材にしやすいが故に、安易なメロドラマと化すことが多い。

だが戦争とはおそらく、そんなもので収まってしまうほど小さな現象ではない。もっと何か、巨大なエネルギーの噴出のようなものがある。

それはきっと、争いに勝つという強烈な思惑によって新たな技術が生み出され、浸透し、私たちの生活を大きく変えてきたからだろう。

例えばインターネット。

私がこうしてネットの海に文字をつらつらと並べることができるのも、軍事利用を目的にインターネットが開発されたおかげだ。

医療の中核たるレントゲン技術や、飛行機だってそう。

今回はそんな世界中を大きく変えてしまった、戦争という映画の傑作を紹介しようと思う。

1.プライベート・ライアン

何よりこの映画にグーニーズを撮ったあのスティーブン・スピルバーグが関わっているのだから恐ろしい。当然、グーニーズの冒険活劇のような陽気さは一切ない。

プライベート・ライアンを一言で表すなら”凄惨”だ。この映画は終始理不尽な死で溢れかえっている。腹から臓物を流しながら家族の助けを叫び、自らの千切れた腕を探し、情で見逃した敵兵に味方を殺され、自身が作った爆弾で死ぬ。

彼らが死の直前に何かを顧みる時間などはない。気に掛かるのは自分は生きられるのか死ぬのか、または自身の死を実感することもなく一瞬で死んでいく。画面越しに吹き荒れるそれら理不尽の塊は、思わず顔を背けさせてしまうほど強い。

そしてこの映画にドラマはほぼない。

ただそこには戦場のみがあり、理不尽な死や血と泥、倒壊した家屋といった死の世界のみが横たわっている。

ただそれだけを描いた映画であり、戦場とはそんな場所なのだという事実を見事に表現している。

戦争映画がドラマチックになりがちなのは、きっと自分の死に納得したいからだ。生きたこと、これから死ぬことに意味があるなら、理不尽な死を多少なりとも受け入れられる。

だがプライベート・ライアンの兵士たちは、自身の死を受け入れる時間的余裕などない。彼らは何も成し遂げられず、家族に看取られこともなく、雨に濡れた冷たい土の上で唐突に死を突きつけられ、孤独に尊厳なく朽ちていく。

だが彼らは何本当に何も残せなかったのだろうか。

それがきっと違う。

現在という時間がそれを証明している。

私たちが歩む現在とは、過去に築き上げられた大量の死体の山の果てに流れている。過去に戦った人間たちが繋げた平穏への道である。

死でできた道だ。畏敬の念を込め慎重に歩こう。

序盤のノルマンディ上陸のカットは特に見どころが多い。ビニールで銃を海水から守り、爆薬筒を繋げて押し込んでいき、鉄条網を爆破するシーンはとんでもないリアリティを感じる。過去に行われた戦術や戦法を調査したのだろう。

また、海から陸に上陸することがいかに不利で困難であるかが見て分かる。アメリカはそれを圧倒的な兵士の数と物量で押し切ったわけだが、反面とんでもない数の死人が出た。

それらを踏まえても、ノルマンディや沖縄と二度も上陸作戦に成功しているアメリカの軍事力は驚嘆に値する。

二次大戦で日本が兵士と武器、食糧や兵站を積んで太平洋を渡りきり、アメリカ大陸に上陸して西から東へ横断、ホワイトハウスを陥落することが勝利だったとするなら、恐ろしい物質と時間が必要だったに違いない(アメリカはそれを実現してしまった)

プライムビデオやNetflix、U-NEXTと、割とどのサービスでも観れます。

2.ブラックホーク・ダウン

こんな映画も撮ってしまうのがリドリー・スコットの凄みといったところだろうか。ブレラン然り、この人は物事の本質を映像に落とし込むのが本当に上手い。

ブラックホーク・ダウンは、平穏な日常と隣り合わせにある戦場の異様さを見事に描いている。

駐屯する基地で受けた命令の準備を揚々と行う兵士。この映画はそんな何気ない日常の時間から始まる。

しかし戦場へと足を踏み入れると、途端に日常は一変する。すぐに終わるはずだった任務は、飛び交うRPGの攻撃によって非常に困難な救出作戦へと様相を変える。

車両に乗って墜落したヘリを目指す兵士たち。

だが絡み合う建物と小道は、野戦の平地には存在しない立体的な縦の戦闘という複雑な状況に発展し、縦横から弾丸の雨が米軍の車両を襲う。装甲化されていない車両はあっという間に蜂の巣にされ、救出任務は更に困難を極める。

映画の終盤、装甲車両を盾にしながら息も絶え絶えに脱出した兵士に現地住民が水を差し出すシーンは目を見張るものがある。

先ほどまで激戦を繰り広げていた場所から地続きに、危険な地区と比較的安全な地区がそれほど遠くない距離で繋がっているという事実。

銃弾とロケット弾、そして癒しの水を同じ国の人から差し出されること。

この映画は、そんなソマリア紛争の等身大を描いている。

これもプライムビデオやNetflixとU-NEXTと幅広く配信されています。

3.ランボー/最後の戦場

ランボーシリーズ20年振りの第四作目。

タイ北部のジャングルに身を置くランボーが、人道支援に訪れたNGO団体の依頼で内戦中のミャンマーへ案内するも、団体が捕虜にされたため救出に向かうという話。

ランボーと名を打ってはいるものの、作風はシリーズから一線を画している。正直なところよく劇場で公開できたと思う。

というのも、この映画は惨殺描写にまるで躊躇いがない。

映画の冒頭では実際に撮影された内戦の映像が使用されている。そこには蠅に塗れた死体、女子供だろうが容赦なく刺殺されてしまうほどに、文字通りの地獄が映し出される。

人を人とも思わぬ非道が当たり前のように繰り広げられる様は、並のホラー映画なんかよりもずっと恐ろしい。

中でも映画終盤、ランボーがを乱射するキャリバー(重機関銃ブローニング)のカットは過激な本作で最も強烈。

12,7mmを誇る弾丸は人間に対して撃つにはあまりに巨大で、それに体をぶち破られた兵士は破裂した水風船のように内容物を撒き散らしながらバラバラになって死んでいく。

結果として人道支援に来たNGO団体は、誰も救うことができず、それどころか死屍累々の戦闘を引き起こして自分たちを救うことがやっとという結果に終わってしまう。

人が人としての尊厳を失った空間において、正しさなんて概念は何の役にも立たない。

戦場において人道が通じる瞬間などごく僅かなのである。

ちなみに戦場で実戦を経験した元兵士曰く、この映画を観て久しぶりに戦場の記憶がフラッシュバックしたそうな。

U-NEXTで配信中。

4.ナバロンの要塞

この映画の素晴らしい点は、なんと言っても特殊部隊のリアリティを正確に描いていることだ。古い映画だが、今見ても色褪せない名作。

時代は第二次世界大戦の最中、ドイツ軍が有するナバロン要塞に対し破壊工作活動を行うために、各部門の精鋭がかき集められる。諜報やロッククライミング、現地の協力者など様々だ。

この映画は特殊部隊の映画によくある、最新のテクノロジーを用いたスマートな戦闘というものは一切描かれない。

彼らは船倉に大量の弾薬と爆薬を積んで漁船に擬態し、貧相でボロボロの衣に身を包んで漁師へと変装する。

おおよそ船着場とは言い難い断崖絶壁に船をつけ、大雨の中で崖に杭と安全ロープを設営しつつ、弾薬と爆薬を地道に引き上げていく。

道中では予期せぬ戦闘から負傷者が発生し、任務に連れていくべきか見捨てるかを議論する。負傷者は担架で二人掛かりでしか運べない以上、人手が少ない少数部隊では致命的だ。目立ってしまうことから市民に紛れ込むことも困難になる。

判断を誤ると多くの仲間が犠牲になる。だが、敵地のど真ん中である彼らにコーヒーを飲みながら思考に耽る場所などない。

この映画は、特殊部隊とは泥臭く地味で、あえて不利な状況を選択することで行動を秘匿しそれでも実行する胆力こそが本質なのだと描いている。

アメリカ軍で最も過酷と言われるネイビーシールズの選抜が、なぜ冷たい海の中で砂と海水を体に浴びながら訓練をすることなのか、これを観ると理解できる。

物資もない。時間もない。安らかに眠れる家もベッドや安全の保証もない。そんな高ストレスな環境で最後にものを言うのは、結局のところ我々が心のどこかで毛嫌いしてしまっている”根性”なのだ。

U-NEXTで配信中。

5.劇場版 機動警察パトレイバー2 the Movie

長いので劇パト2と略します。

ただ劇パト2を語り出すと止まらなくなるので、今回は要点だけまとめる。

劇パト2は押井映画でもかなり好きなのでで、そのうちありったけの思いを乗せた劇パト2の記事を書くつもり。

さて、この映画がなぜ戦争映画として優れているのかというと、戦争という現象を正しく認識することができない人間の認知の歪みを見せてくれるから。

要は今まさに戦争が起きているのかいないのか、その見極めができる人間はそういないし、そんなことよりも個人は目前の生活をより優先にしてしまう。

それはまぁ当然っちゃ当然なんだけど、そんなことばかりしていると次第に選択肢は限られていいき、気づいた時には取り返しがつかなくなる。

宣戦布告をされたから戦争状態になったという認識だとあまりにも遅すぎるわけで、実は目の届かないところで、国家間は常に互いを牽制し合っている。

ほとんどの人は知らないけど、日本だって年間300回近く戦闘機がスクランブル発進をしているし、毎日のようにサイバー攻撃を受けている。

相手はどれだけ早く動けるのか、察知能力はいかほどか、そうやってお互いを牽制し、いざという時のために守備の穴を見つけておくことは、軍事行動を行う上で必ず必要なのである。

弾が飛んできたらハイ、いざ始まりですとはならないわけで、そのいざというときはいつのなのか。何を持ってそのときなのか。その判断は非常に難しい。

この映画はそんな危険をいち早く察知し、組織のしがらみを切り抜けて個人的な目的の達成を目指す組織人の苦労を具に描いている。

ではその苦労とは何か。それは事実を受け入れてもらうこと。立ち向かう同士を集うこと。

そのために主人公の後藤は時に欺き、誘導し、いざという時は暴力をも振るう。

そんな後藤は最初のミサイル攻撃で何者かに宣戦布告をされたといち早く気づいた優秀な警官だ。だが役人や官僚はそれを出世の功績に結びつけようとトンチンカンな命令を出すばかり。そのため、組織のあらゆる意思決定機関が後藤の前に立ちはだかる。

そんな後藤の苦労とは裏腹に、街に出動命令が出された自衛隊員もどこか呑気で、民間人も銃や戦車を見て興奮するのみ。誰も避難をしようとしない。

だが、たとえ誰もが認めたくないことだとしても、既に戦争が始まっているということ。

誰も知らないだけで、常に水面下では軍事力が動いているということ。

平和とは比較であり、現在は比較的に平和なだけで、争いのきっかけは常に我々の隣にあるということ。

この映画は、我々が何処か遠くへ追いやった戦争のリアルを眼前へと引きずり出した。

傑作。

U-NEXTで配信中。

まとめ

上記の映画は劇パト2を除いてどれも観やすい映画だけど、同時に目を背けたくなる過激なカットも数多くある。

観ていて疲れる映画たちではあるけど、個人的には強くおすすめしたい。

ちなみに私は今、日本の古い戦争映画を漁っています。

過去と現代の演出の変移に、何か秘密があるような気がする。

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