【映画】人狼 Jin-Rohを解説

映画のレビュー

人狼という映画

この映画を一言で表すなら至極の恋愛映画だ。

とまぁのっけから嘘こけとか、恋愛映画ではあるけど至極なのか?と聞こえてきそうではあるが、私個人の感想としてはそう表現しても差異はない。

押井監督のケルベロスサーガ3作目に当たる今作は、実写だった前2作とは異なりアニメーション映画となっている。

押井監督は総監督という立場で、監督は沖浦監督。
とはいいつつも、カットや演出、音楽に至るほぼ全てに押井監督のテイストがある。

というかこれもう押井監督の映画でしょ。

押井監督の映画あるあるなんだけど、うる星やつらだと思ったら押井映画だったように、人狼もケルベロスサーガだと思ったら押井映画だったみたいな感じがある。

自身の作品すら今の時間軸の自分が内包する世界観へと作品を作り変えていくのはさすが押井映画といったところろ。

主人公の伏は声優の藤木さんとそっくりなデザイン。

伏一貴という男

伏一貴
特機隊に所属する寡黙な青年。
訓練学生課程で優秀な成績を収めている。
初めての実戦でテロリストの工作員である少女を撃つことをためらい処分を受ける。

その正体は極秘の諜報部隊”人狼”の隊員。

伏が極秘の諜報組織の人狼だったことは承知の通りである。

伏は主人公だが何を考えていて、何を思っているかを語る描写は一切ない。だがこの男が何者で、何を思い生きているのかは、劇中のいたるところに散らばっている。
ここでは、それらを拾い集めてみる。

暴力という才能

伏は劇中で語られている通り、格闘、射撃、隠密とあらゆる点で抜群の成績を収めていることが語られている。

これらをそのまま捉えると聞こえはいいが、詰まるところ伏の才能は暴力であるということを指している。

暴力の才能が求められる場所というのは、当然だがそう多くない。

この才能で真っ当に生きるには、政府が抱える国家権力のお膝元しかない。
でなければこの映画の活動家のようになるか、または裏の世界の住人へと身を落とすことになる。

首都警は伏にとって唯一、お天道様に顔向けして生きていける場所なのである。
周囲の人間も伏のことを獣と揶揄している。

だが伏は本当にただの獣なのだろうか。
そうでないことを私たちは既に知っている。

伏の心の内にあるもの

伏が心の内を言葉にすることは全くない。感情の起伏が少ない人間のような印象を受けるがそうではない。

実は行動の一つ、声色の一つそのほとんどに彼の思いが滲み出ている。これについては後述する。

訓練学校で優秀な成績を収めていた伏だが、実戦では幼い少女をすぐに撃つことができなかった。
今すぐにでも自爆しそうな少女に伏せは「なぜ」と問う。

伏が「なぜ」と聞いた理由は想像することしかできない。
伏は暴力の才能に秀でた人間であることから特機隊へ志願、もしくは引き抜かれたことが推察できる。
そしておそらく志願ではなく引き抜きが正しい。
これは彼が諜報組織人狼に属していることからそう考える。

人狼が非公式の諜報組織だ。おそらく正式な入隊ルートなんて存在しない。
伏は何か政治的信条、個人的な正義心から特機隊に所属しているわけではないことが推測できる。

徒党を組んで暴力に訴え、自身の命を投げ出してまで何かの信条を貫く少女の姿に、正義を持たない伏は恐怖や戸惑いで心を大きくかき乱されただろう。
「なぜ」という言葉の裏には「何にそこまでして命をかけるのか」という意味である。

雨宮圭にとっての伏とは

雨宮圭
雨宮圭は自爆した少女の姉と名乗るが、実際には血縁関係は無い。
辺見が送り込んだ首都警の工作員であり、伏が所属する組織である人狼を炙り出すために送り込まれた。

この映画を観ると、雨宮圭の存在は二度と忘れられなくなる。

工作活動のために伏と接触するが、共有する時間とともに二人は惹かれあう。

雨宮圭はただ誰かに憶えていてもらいたかったがために辺見の工作を手伝い、伏に自爆を仕掛けるも圧倒的な伏の制圧力の前に工作は失敗に終わる。

それにしても、誰かに憶えていてもらうために自爆するとどういうことか。

この辺りを考察していこう。

本当は死にたいわけではない

雨宮圭は本当は死にたかったわけでは無いことは、伏とデパートの屋上へ侵入したときのセリフから読み取れる。

このとき彼女は「二人でどこか遠くへ行こう」と提案する。
伏はこれに対し「それはできない」と答える。

博物館で自爆を考えていた、つまり既に未来を諦めていた彼女が、この時だけは未来へと希望を見た言葉を紡いだのだ。

こうして執筆している今も胸が苦しくなる。

もはや自爆という破滅的な方法で、僅かな時間でも心を寄せた伏に記憶として残ろうとしていた彼女が、この時だけは淡い夢を見たことにどれだけの強い想いがあったのか。
想像しただけで胸が苦しくなる。

そもそも雨宮圭がなぜ自爆という手段で伏と死のうとしたかというと、工作員として政治の裏庭に足を踏み入れた彼女に、もう未来なんてものはないからだ。

彼女に残された時間は、国家が必要とする間だけ生きながらえ、汚れた仕事を押し付けられる間だけ。用が済めば証拠隠滅のために消されるであろう彼女の人生は、決定的に閉ざされていた。

そんな彼女が選び取ることができる幸福の選択肢は、誰かに存在を知ってもらい、憶えていてもらうことだった。
それが恋する相手ならどれだけ満たされることか。

だが彼女に恋人と幸せを共有することは許されない。伏自身もまた、非公式の部隊の所属しているのだ。彼らが心を通わせるのに、その境遇はあまりにも闇が深すぎた。

だが、それでも、一縷の望みを託せずにはいられなかったのだろう。

だから彼女は「二人でどこか遠くへ行こう」と提案した。

幸福としてはあまりにもささやかで、同時に決して叶うことがない。
このセリフにはそんな悲哀が満ち満ちている。

雨宮圭の言葉の真意

映画の終盤、特機隊のスーツを装備して戦闘へと向かう伏に雨宮圭はこう叫ぶ。

仕方ないじゃ無い!

どうしようもなかった無かったのよ。


一緒に行きたかったけど、貴方は行く事のできない人だったんだもの。


だったらせめて、せめて一緒に死んでしまえば、そうすれば、そうすればお互いの心に、貴方の心に私が留まっていられる。


誰かに、誰かに憶えていてもらいたかった。

このセリフには伏一貴への雨宮圭の想いの全てが込められている。
一つ一つ読み解いていこう。

どうしようもなかった

というのは、雨宮圭が伏を陥れることから逃げられなかったことを指している。
拒否か、逃亡か、従うか。どの選択肢も自由なんて残されていなかった。

一緒にいきたかったけど、貴方は行くことのできない人だったんだもの

これはデパートの屋上で遠くへ行こうと提案した雨宮圭のセリフから繋がっている。
どこか遠く、誰も追いかけてこれない場所へと行きたかったという圭の思いだ。

だが伏に行く場所なんてなかった。暴力を生業とする彼に逃げ場はない。戦うことこそが伏にとって生きるということなのだ。

ちなみに一緒にいきたかったという言葉には、行きたかった」と「生きたかった」の二つの意味がある。

だったらせめて一緒に死んでしまえばお互いの、貴方の心に留まっていられる。誰かに憶えていてもらいたかった。

雨宮圭はテロリストである以上、日の目を見ることはもうない。政治の裏庭の工作員である他に、彼女に居場所はない。
だったらせめて、伏にとって鮮烈な思い出として存在することができれば・・・
雨宮圭はそう考えた。

本当はどこか遠くへ一緒に行くことがでいれば良かっただろう。だがそれが叶わないのなら、せめて忘れられない存在へとなりたい。
どうせ死んだも同じ人生なのだ、誰かにとって鮮烈な一瞬になりたい。

このセリフにはこうした意味が込められている。

伏は本当に獣だったのか

伏一貴という男は確かに抜群の暴力性を兼ねている。
かつての友人の辺見を何の躊躇いもなく蜂の巣に仕上げて見せる程には攻撃的だ。

しかし人間とはある一面のみで語り尽くせるほど単純ではない。

様々な一面を持ち、一見矛盾しているかのように見えるそれらが統合されて一つの姿をしているのが人間である。

「結局お前も人間じゃねぇかよ!伏!」

辺見が死の直前に叫んだ言葉である。

辺見の言う通り、映画冒頭の少女を射殺しなかったときから、いやきっともっと前から伏はただの人間だった。

雨宮圭の最後の叫び

伏に撃たれる直前、雨宮圭は赤ずきんのセリフを叫びながら伏にしがみつく。
そこには今生の願いその全てを詰め込んだが如く、言霊となって伏を縛り上げる。

未来永劫、伏の記憶として焼きつくため。
伏にとっての永遠となるため。

その狙いの通り、このカットは本作で最も強烈なインパクトを伏と、そして視聴者に与えた。

そしてそれこそが雨宮圭の望みなのだ。

彼女がごく一普通の幸福を手に入れることは叶わない。
誰かに惹かれ、心を寄せ、その先の恒常的に満ち足りた毎日は手に入らない。
このまま誰かと幸せな思い出を共有することもなく、孤独に道を閉ざすしかない。

そんな彼女にできることは、誰かにとって忘れられない存在になることだけだった。

ふとした瞬間に自分のことを思い出してくれる。

それが好きな人だったらどれだけ幸せなことか。
伏にとって忘れられない人でありたい。

彼女の思惑通り、私は今も雨宮圭を忘れることはできない。

それはつまり、伏にとっても忘れられないということを意味する。

生きる全ての力で声を絞り出し、彼女は伏へと焼きつこうとする。

そして彼女の思いは果たされた。
伏はこの先もずっと、彼女の姿を思い出すだろう。

伏という人間の最後

伏は最後に雨宮圭を撃つ。
そこにはかつての同僚を殺したときのような冷徹な伏はいない。

泣き叫ぶ雨宮圭の姿に最大の苦悶の表情を浮かべながら、しかし最後には引き金を引く。

圭と共に逃げられたらどれだけ良かっただろうか。もう少し同じ時を過ごせたのではないか。

彼女だけでも逃がせないか。

それがどれだけ難しいことか伏は知っていた。

ここで上手く逃げたとしても、遅かれ早かれ彼女は見つかり殺される。
伏は他者を薙ぎ倒す術は知っていても、守る術は知らなかった。

国内に彼女の存在を許す場所はもうない。

彼女との淡い夢を、そんな儚い願いの全てを諦めて、どうせ殺されてしまうならせめて自分の手で葬ること。それは雨宮圭が望む、伏から彼女へ施すことができるせめてもの愛情表現だった。

そして最後は引き金を引く。

その表情は、どれだけ獣を演じようとも決して誤魔化すことのできない人の顔。

どうしようもないほどに、伏は人間そのものだったのだ。

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